撮影日記 2004年11月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
  

2004.11.30(火) プレゼント企画

 僕はだいたいテレビが好きだが、最近、面白くないな〜と思うのは、ヨン様の特集と皇室に関する報道だ。そのヨン様の写真展を見るために、一日に5000人の人が行列したというのだから、いやはや・・・
 仮にタケダ様が写真展を開催しても、到底及ぶはずがない数字である。
 もっとも、ヨン様の写真展では、ヨン様のポートレートが展示されるわけだが、タケダ様の写真展を見に来ても、タケダ様のポートレートが展示されるわけではない。タケダ様が写した自然の写真が展示されるだけだ。

 さて、新しいプリンター・エプソンのPX−G5000を導入することになった。
 PX−G5000は、最大でA3ノビまで印刷することができる。A3ノビといえば、写真展で展示するのにも十分なサイズだ。
 インクは、一般的な染料ではなくて顔料だ。顔料は染料に比べて圧倒的に退色しにくいはずなので、贈り物など、人に差し上げるプリントも作ることが出来る。また、インクの数も8色と多く、微妙な色合いも、実に簡単に、見事に印刷できる。
 染料のプリンターで印刷した場合、印刷後、一日くらい置かなければ本来の色が出ないが、顔料のプリンターはすぐに色が安定するので、まず小さく試し刷りしてみて、色合いを確かめたり手を加えながら、画像を自分の好みの色に調整して、最後に大きなプリントを作るようなやり方も容易い。
「これは凄い!凄すぎる」
 と、試しに一枚プリントしてみて感激した。
 多くのプロカメラマンが使用しているフィルムからプリントを作る方法を、ダイレクトプリントというが、PX−G5000の画質は、完全にダイレクトプリントを超えている!写真を送ってプリントしてもらうよりも、自分でパソコンで作ったプリントの方が上だ。
 
(僕らしくないですが、珍しく、プレゼント企画)
プリント作成の際に生じる、試し刷りのプリントを差し上げます。今回の絵柄は下記の4種類です。
プリントは、高さ8.9センチ、幅12.7の小さな用紙に印刷されています。注意点としては、あくまでも試し刷りなので、僕の指紋等が、ついているかもしれません。
応募は、先着順です。
まず件名に「応募」と書いて、メールを送信してください。
当選した人に、こちらから「当選」と返信します。それ以外の方には、返信しません。
当選したら、まず、僕宛に返信用封筒を送ってください。返信用封筒は、高さ8.9センチ、幅12.7センチのプリントが楽に入るものにしてください。返信用封筒の中には、写真が折れ曲がったりしないように、厚紙等を入れておいてください。また、切手も貼っておいてください。
どの絵柄を送るかは、こちらで適当に決める予定です。




 

2004.11.29(月) 誰がお金を出すのか?

 たしか9月だっただろうか?S経新聞社を名乗る女性から、事務所に電話があった。
「あなたの写真は素晴らしい!」
 と、矢継ぎ早に褒めてくれるのだが、間が悪いというか、心がこもっていないというか・・・、他に何か用事があるのだな!とすぐに分かる話し振りだ。
「それで、うちの新聞で、日本のすぐれた芸術家を厳選して30名特集します。その中にあなたの写真も・・・」
 と電話の向こうの声が切り出した。
 僕は生き物屋さんであって、芸術家ではないけどな・・・と、黙っていたら、
「1ページあたり25万円でどうでしょう?かなりいい条件だと思いますが!」
 という。
 僕は新聞という媒体があまり好きではないので、これまで新聞を仕事の相手と考えたことがなかったし、新聞に写真を掲載する際の相場を全く知らなかったが、25万円はいいじゃない!と思う。
 ところが、それでも何か話が噛み合わない。
「もしかして、その25万円って、僕が払うのですか?」
「はい。うちの新聞の広告面を利用するんですよ。」
 言葉には出さなかったが、お金をもらって写真を提供するのがプロの写真家であるから、「あなた頭大丈夫?」という次元の話であった。また、お金を出せば、厳選された、日本のすぐれた30人の芸術家に入ることができるなど、そんなくだらん芸術があっていいはずない。

 写真の世界で誰がお金を払うのかは、プロにとっては大変に重要な問題である。「あなたがお金を払って・・・」と言われたのは、初めてだった。
 だが、よく考えてみたら・・・もしも写真家が女優さんを撮りたいと思うなら、女優さんはお金をもらうことになるが、一般の人が写真館に行って、「撮ってください」と頼めば、撮られるその人がお金を払うことになる。一方で、町の中でスナップ写真を撮ったり、撮られたとしたら、そこにはお金を払ったり、もらったりする関係は生じない。
 本当は、金銭の授受に関してはそうして色々とあって、ただ、僕が知っている世界が狭かったのだろうか?
 写真を撮るという行為は、被写体が自然であろうが、人物であろうが、物であろうが、ジャンルに関わらず、その精神は同じではないか?と僕は考えるが、経済的な立脚点には、それぞれのジャンルに事情がある。だれが、どういう風にお金を出して、どうやって仕事として成立するのか、そのジャンルごとの事情を良く知っておくことは大切なことであろう。

 さて、今晩も、渓谷の夜景を撮りに行こうと思う。今日は大分県の山国川源流を予定している。

 

2004.11.28(日) 今日も

 今日も、これから夜景の撮影に向かう。僕が撮りたいのは星空だが、昨晩は薄雲が広がり、ほとんど星を見ることができなかった。果たして、今日はどうだろうか?
 これから冬にかけて、半月以上の月ができる晩は、一日でも多く、水辺の夜景を撮って見ようと思う。最終的には、それを生き物の撮影に結び付けたい。

 

2004.11.27(土) 奉仕生殖

 僕は、文章を書くことは苦痛ではないが、自分が書いた文章を見直すのは苦手だ。
 この11月に入ってからも、自分の原稿を見直す「校正」の機会が何度かあったが、最初はちゃんと見直しているのに、いつの間にか、ただ眺めているのだけの状況に陥ってしまう。
 そして大きなミスに気付いて、ふと我に返る。つい先日も、僕の原稿の中に、書いた覚えが無い「奉仕生殖」という言葉があった。
 奉仕生殖っていったいなんだ?
 そう言えば、なかなか結婚できない知人が、ちょっと前に、
「私はもう3・歳だから、早く子供を生まなければ・・・」
 と言うのを聞いたことがあるが、そうして焦っている女性のために、
「僕が協力しましょう。」
 と、奉仕活動として生殖することではないか?
 僕は、子供は、まずごく自然に好きな人がいて一緒に暮らして、そして授かりものや一種の幸せとしてできるべきであると考えるので、「早く子供を生まなければ!そのために急いで結婚相手を・・・」という発想は、僕にはどうも馴染まない。僕には、奉仕生殖はできそうもない。
 奉仕生殖は、胞子生殖の誤りであった。胞子生殖とは、カビやキノコが胞子をばらまくことによって増える現象である。

 文章の校正の他に、苦手なものと言えば、以前はスタジオ撮影や風景撮影などがあったが、スタジオ撮影と風景撮影は、今や楽しめる程になった。それから、夜早く眠たくなる僕は、夜の撮影が得意ではない。が、今晩は夜の渓谷を歩き、夜景を撮影してみた。

 

2004.11.26(金) 捏造写真

 現在撮影中のメダカの飼育の本の最後のページは、大小のメダカとが、同じ水槽内を泳ぐシーンが予定されている。
 先日からその撮影に取り掛かっているが、今日は、その過程で撮影した画像の中から、ベストと思われる一枚を掲載してみた。
 多くの人が、「これが君のベスト??」としか感じないであろう程度であろうが、撮ってみると、これが実に難しい。
 何が難しいか?と言えば、まず、メダカが上手く画像内に散らばってくれない。白の背景の場合、そもそもシンプルに見えるだけに、全体にうまくメダカが散らばらないと、閑散として様にならない。
 それから、上手く散らばっても、メダカ同士が重なって写る。重なったくらいいいじゃない・・・と思っていたのに、画像を見ると、重なって写った2匹のメダカが、まるで1匹の別の生き物のように見えて、メダカの形が説明できていない。
 上手くメダカを散らばらせるためには、たくさんメダカを入れたほうが、重ならないようにするには、少ない方がいい。数を調整したり、餌をまいてみたり・・・300枚くらい撮影したが、上手く撮れたのは、たった一枚だ。
 他の撮影を思い返してみても、300枚撮って1枚しか当たらなかった経験はないように思う。
 見開きで使用する予定なので、デジタルの後で、645判のフィルムで・・・と思っていたが、300枚ね・・・コストを考えると、ほぼ不可能な話だ。

 それなら、メダカが一匹で写った写真を、背景の白い部分にたくさん貼り付ければいいじゃないと、考える人がいるだろう。実は、今回の本は、全体にそうして貼り付けて作っていく本だ。
 だがこのページの場合は、貼り付けはすべきではないと考えた。貼り付けると、北朝鮮の捏造写真ではないが、どこかで何かが矛盾する。例えば、小さなメダカが大きくなったり、大きなメダカが小さくなったりすることがあり得るだろうし、小さなメダカと大きなメダカとでは体型が違うのだから、そこに矛盾が生じるだろう。
 でも、ちょっと待てよ。別のページでは貼り付けをしているのだから、時に貼り付けをして、このページではそれを否定する。そこで、もう少し、僕の考えを書いておこうと思う。
 写真の合成か、あるいはそれに近いレベルの作り物をする時は、僕には自分なりの線引きがある。その線引きとは、「これは合成ですよ。」と、見る人に分かるようにすることだ。
 今日の画像の場合、水槽だけを撮影してあとからメダカを貼り付けるのと、一枚の写真で撮った写真と、一般の人が見る分には区別できない可能性が高い。その結果、思いがけず人を騙してしまう危険性があり、自然科学系の本の中では、それはまずい。
 貼り付けをするのであれば、逆に、明らかに貼り付けていると分かるような違和感のある画面構成にすべきだと、僕は考える。その違和感は、見る人に絵的な面白さや遊び心を感じさせるに違いない。騙すのではなくて、遊ぶのだ。

 

2004.11.25(木) 更新

 今月の水辺を更新しました。

 

2004.11.24(水) なんだかんだ

 時間的なゆとりが生まれてきたと書いたばかりだが、なんだかんだ仕事がある。あっという間に、一日が終わる。
 僕は大体忙しい奴は、あまり好きではない。いや、忙しくてもいいのだが、誘ったら、いつでも都合をつけてくれるような人が好きだ。
 なのに、自分は?と言えば・・・
 僕はお金持ちになりたい訳ではないが、もうちょっと効率よく稼げればな〜などと思う。そしたら、もっとたくさんお金を稼ぐのではなくて、もっと暇な時間を過ごしたいのだ。

 

2004.11.23(火) すっきり割り切れないもの

 10月の上旬から本格的に取り組んでいるメダカの飼育の本だが、来年の6月に出版される予定になっている。
「写真の締め切りは、2月の中頃ですよ。」
 と先日、担当の方から連絡があった。
 本は月刊誌で30ページ弱あるが、昨日の時点で未撮影が6ページ分あった。今日は、そのうちの2ページを撮影することにした。
 本がもしも4月号だったりすると締め切りが12月になり、それなりにバタバタする羽目になりそうで心配していたのだが、2月が締め切りならゆとりがある。大変に忙しかった今シーズンだが、ようやくゆっくり、じっくり撮影をしたり、丁寧にフィルムの整理をしたり・・・、当たり前のペースで過ごすことができそうだ。
 
 さて、この夏撮影したセミの本の見本が届いた。10月の末にも同じようなことを書いたが、その時に付け加えられたり修正された点に、再度目を通さなければならない。セミの本は、昆虫写真の海野先生と共著で、10月末の時点では、まだ海野先生がお書きになった分の文章が入っていなかったのだが、今回は、ほぼ本が完成された状態に近い。
 僕が撮影したのは、博多のクマゼミで、東京のミンミンゼミや、その他ちょっとばかりマイナーなセミの写真は、海野先生が撮影したものだ。
 が、海野先生が撮影した博多のクマゼミの写真が使用されたページもある。
 海野先生は、博多でクマゼミを撮影した際に長々と滞在したのではない。他に用事があり、たまたま福岡に来た際に、さらりと短時間で撮影されたクマゼミの写真だが、僕が毎日のように通って撮影した写真ではなくて、そうして短時間で撮影された写真を、編集担当の方が選んだわけだ。
 僕の写真になくて、海野先生の写真にあるものは何だろう?と、考えてみたら、これか?と思えるものがあった。日頃から何となく感じていたことでもあるが、海野先生の写真には、虫の世界の複雑さとでも言おうか?すっきり割り切れない何かが写っているような気がする。僕の写真には、それがない。
 そうした言葉にいい表しにくい雰囲気を写し撮ることは、なかなか簡単に真似できるものではないが、今回は、僕も全く同じ被写体を撮った。しかも、それが同じ本の中で使用されるのだ。
「そうか・・・、海野先生なら、ここでこう撮るんだ!」
 と、多少は実感があった。
 もちろん、だからといって、海野先生に近づけるものでもないが・・・
 
 

2004.11.21(日) 牡蠣フライ弁当

 昨日は、当てもなくどこかに出かけてみようかな・・・と予定していたら、カタツムリの撮影の依頼が入り、仕事をすることになった。ここのところ、ずっと、そうして遊びの時間を潰しているのだが、まあ贅沢な悩みであろう。
 多くの自然写真家は、翌年以降に使用するための写真を撮る。例えば、今年撮った紅葉の写真は、もう今年の出版物には間に合わないのだから、最短で来年使用されることになる。それが当たり前の世界で、ちょっとした工夫とデジカメを駆使することで、急な撮影の依頼をしてもらい、今日の午前中に撮影した写真の使用が、午後にも決まるのだから非常に効率がいいし、痛快といえば痛快である。
 代わりに、今日出かけようか?と思ったら、今日は日曜日だ。どこも人が多いだろうし、取り止めにすることにした。代わりに、明日以降に予定していたフィルムの整理に精を出した。

 昼食は何にしようか?と考え、ほかほか弁当の牡蠣フライ弁当にしようと心に決めて、
「揚げるのに5分かかるからな〜」
 と、ちょと早めに買いにいったら、それなのに、お店は超満員である。
 隣の剣道場で大会が開かれているようで、剣道の格好をした子供と父兄が大挙して押し寄せたようだ。仕方なく、時間がかかる牡蠣フライではなく、カレー弁当で我慢。
 しかしな・・・
 超満員なのだから、買い物に来た家族が全員お店の中にたむろするのではなく、弁当を受け取る人だけを残して外で待ち、他の人が注文をし易くするなど、配慮できないものだろうか?
 僕が写真を仕事に選んだ理由は、生き物が好きで、そこそこ写真が好きだからだが、他にも、絶対に会社員が嫌だったことが、その理由として挙げられる。自分で出来る仕事・・・と考えた結果だった。
 会社での仕事そのものは、きっと僕にも勤まるだろうが、みんなと同じ日に休んで、休日は人が大挙した行楽地で人ごみに紛れることが、どうしても嫌だったのだ。
 あ〜牡蠣フライが食べたい。
 僕が口にする牡蠣は、せいぜいお弁当屋さんの牡蠣フライ程度であり、高級な牡蠣は、まだ一度も食べたことがない。鍋でもフライでもいい。食べてみたいものだ。
 
 

2004.11.20(土) 信じられない出来事が!




 ほとんどのカタツムリは右巻きだと、僕は何度か日記に書いたことがあるが、今日の上の画像が右巻きのカタツムリだ。
 また、数は少ないが、左巻きの種類(例えば、ヒダリマキマイマイ)が存在することも、過去に書いたことがある。そして、今日は、本来は右巻きであるはずのツクシマイマイの中に、左巻きのツクシマイマイが紛れていることに気付いた。
 僕が飼育室内で繁殖させた子供なので、素性がはっきりしている。間違いない。右巻きのツクシマイマイの親から、稀な遺伝か、恐らく突然変異で左巻きの子供が生まれたことになる。下の画像が、ヒダリマキのツクシマイマイだ。

 これはレアものだ!是非大きく育てたい。今日からこのカタツムリはビップ待遇だ!
 あるんだな〜そんなことが。正直、くだらんと思う。生き物が好きな人でも、僕以外は、それほど面白いと感じることではないかもしれない。オタクだな〜と認める。
 だが、そんなものを目に出来たことが嬉しい。

 

2004.11.19(金) 10年ぶりの対面

 写真の世界には、フォトライブラリーというシステムがある。フォトライブラリーとは、多くの写真家から写真を預かり、預かった写真を出版社などに貸し出す業務であり、出版関係の人がそこに行けば、多くの写真家の作品を、まとめて見ることが出来る。
 僕も現在東京にある2つのフォトライブラリーと契約をしている。

 フォトライブラリーには、いいこともあれば、悪いこともある。
 まずいい点だが、たくさんの写真家の写真が準備されているので、そこには出版関係の人の出入りが多い。それから、写真を出版社に発送するなど、事務的な作業に僕が関わらずにすむ。
 悪い点は、人の手にゆだねるわけだから、自分が「これ!」と思う写真が貸し出されるわけではない。それから、フォトライブラリーで売れた写真の売り上げは、僕とフォトライブラリーとで分配される。したがって、僕の手元にすべてのお金が振り込まれるわけではない。
 一長一短ではあるが、窓口を広げておくことは大切であり、僕は、自分で直接出版社と仕事をするだけでなく、フォトライブラリー経由での仕事も大切にしている。
 今日は、フォトライブラリーの方から、「今シーズン撮影した新しい写真を早く送ってくれ。」と連絡が入った。僕の写真は12〜2月頃に貸し出され、5〜7月頃に本の中に掲載されることが多く、「そろそろ、あなたの写真がたくさん貸し出される時期ですよ。」と、催促されたわけだ。
 今年はあまりに撮影が多かったので、これまでのところ、撮った写真を整理して、フォトライブラリーに送るような時間が全く取れなかったのだ。今日は、ほぼ丸一日を使って、ひたすらに写真の整理だ。

 さて、今シーズン僕が関わった本の見本が1冊届いた。関わったといっても、全25ページの本の中で10ページを担当しただけであるが、その中の数枚の写真撮影が、なかなかの難題だっただけに、大変に強く僕の印象に残っている本である。
 僕は最初にそのアイディアを聞かされたときに、
「そんな写真、物理的に撮れないかもよ。」
 などと言ってしまったが、やってみたら、求められた通りの写真がちゃんと撮れた。
「撮れないかも・・・」
 などと言ってしまった自分が恥ずかしくなった。
 それが大きく引き伸ばされ、本の中に掲載されると、ただ撮れたというだけでなく、なかなかいい写真であることが判明した。ますます恥ずかしい。
 僕が担当した10ページの次のページをめくると、ヒバリの卵が紹介されていたが、僕は、なんだか懐かしい気分になった。どこかで見たことがある写真だったのだ。
 どこで見たっけ?とよくよく考え見たら、なんと僕の写真ではないか!僕が約10年前にフォトライブラリーに預けた写真が使われていたのだ。
 
 

2004.11.18(木) うるめっこ

 今年はヒメダカの本を作ることが、かなり早い段階で決まっていたので、ずっと飼育室にメダカを維持してきた。が、どうしたことか、ある時から突然に病気が流行り、水槽によってはことごとくメダカたちが息絶えた。
 まったく外傷もない、さっきまでは元気に泳いでいたメダカが、コロリと突然死するのだ。

 病気が流行ったその水槽には、撮影用の小さな子供を得るための親が入っていた。だから、僕はまた親のメダカを買ってきて、卵を産むようなコンディションを整えてやる必要に迫られている。メダカは、水温15度以上、昼の長さ13時間以上で産卵をすると言われているが、11月はその条件に当てはまらないので本来メダカは産卵しないし、そうした条件を室内の水槽に人工的に整えて、しばらくメダカの様子を見て、卵を生み出したら、それを集めて子供を孵化させなければならない。
 撮影に必要な稚魚は、最低100匹欲しい。出来れば200〜300あれば、思うような撮影ができるだろう。だが、200〜300と言えば、かなりの数である。
 夏なら、屋外に大きな容器を設置して、その中で工夫して繁殖させれば200〜300程度は、比較的容易く得られるに違いないが、11月だと、屋内の温度管理した水槽でそれを手作業でやらなければならない。
 また、仕事には締め切りがある。果たして今からメダカの親のコンディションを整えて、子供を得て、果たして間に合うのかどうか、僕は内心不安に思っていた。
「軟弱だが、できればメダカの稚魚が買えればな〜。あっという間に撮影が終わり、自由の身になれるのだが・・・」
 そう思ってインターネットで調べてみたら、あった。
 なんと!メダカを養殖して、メダカの瓶詰めを売っているお店があるのだ。その名も、うるめっこ組合。生きた魚も分けてもらえるようだ。
 今は産卵のシーズンではないので、生まれたてというわけにはいかないが、7ミリ程度のものであれば大丈夫らしい。さっそく、瓶詰めと一緒に注文することにした。
『大根おろしと一緒に、お酒、ビールのつまみ、お茶漬けに、最高です。少しほろ苦さがあつて、一度食べたら忘れられない味となります。』
 とのこと。早く食べてみたいものだ。
 いやいや、早く写真を撮りたいものだ?
 そうだ!本の中で、メダカを食べる地方もあると紹介するのも面白そうだ。うるめっこ組合のホームページによると、メダカを食べるのは江戸時代からの風習らしい。瓶詰めが到着したら、食べ物としてのメダカも一応写真に撮っておこうではないか。
 
 

2004.11.17(水) 目的に応じて

 プロの写真家は、アマチュアよりも写真の画質にこだわると思われがちだが、僕は必ずしもそうではないように思う。
 むしろ、アマチュアの凝りまくった人の方が、画質にはうるさい。
 なぜか?
 プロの写真家の場合、写真の使用目的が決まっているケースが多くて、例えば、報道カメラマンなら、新聞に掲載するための写真を撮る。新聞のあのザラザラな紙面に写真を掲載するのであれば、高画質な写真を撮っても仕方がない。それよりも、多少画質が悪くても、人が「あっ!」と驚くようなスクープを撮りたいところだ。
 自然写真の場合でも、僕のように子供向けの本で主に仕事をする人や、カレンダーで仕事をする人など、やはり人によって写真の使用目的が大体決まっている。カレンダーの仕事をするのであれば、写真がどの程度の大きさに引き伸ばされるのかがあらかじめ分かっているのだし、そのサイズに耐える写真を撮ればいい。
 また、僕の場合は、現在関わっている最も大きなサイズの本を開いた時の見開きの幅(2ページ分)が60センチなので、最大60センチに伸ばせるクオリティーの写真を撮ればいい。60センチは、かなり大きな本だと感じるが、それ以上の画質にこだわることは、ナンセンスだということになる。
 プロの写真家は、何に写真を使うか、その目的に大変にこだわる訳だ。
 アマチュアの場合はそれがないので、時として、ひたすらに高画質を争うことになる。その結果、何々社のデジカメで撮影した画像を大きく伸ばすとどんな欠点がある・・・などと言い出す気持ちの良くないオタクな輩が多く出現することになる。
 
 さて、今日はメダカの飼育水槽を撮影した。今回の写真は2ページにまたがって大きく使用する予定なので、デジカメで試し撮りをした後、フィルムでも撮影することにした。
 飼育水槽は、僕が考えてレイアウトしたものだが、子供でも楽に育てることができる水草を、シンプルにレイアウトした。僕は、熱帯魚や水草に夢中になった経験があるので、つい、洒落た、カッコイイ水草をと凝りたくなるが、子供が実際に飼えなければ話しにならないので、ぐっと抑えた。「こうすれば、本当にメダカが上手く飼えて、繁殖させることができるよ!」というコンセプトの本なので、その点を大切にすることにした。
 その代わりに、水槽は、サイズを指定して特注で作ったものだ。大きな水槽にメダカを入れると、写真に撮るとメダカがとても小さく写ってしまう。メダカの場合、大体、これくらいのサイズの水槽があったら、上手くイメージを伝えられるのだけどな〜と、自分で水槽のサイズを設計したのだ。

 

2004.11.16(火) ツクシマイマイ(山地型)

 先月、山口県で撮影した際に、見たことがないカタツムリを見つけたので、採集して帰った。殻は茶色っぽくて、胴体にはまだら模様であり、何となく野性味溢れる印象を受ける。図鑑を見ても、これに匹敵するカタツムリが見つからない。
 いや、それっぽいものは掲載されているが、分布が全く異なる。
 そこで、カタツムリに詳しい方に問い合わせてみた結果、ツクシマイマイの山地型だと判明した。

 ツクシマイマイは、いつも僕が撮影しているカタツムリだ。黄土色の殻に縞模様があることが多いが、殻の色には変異があり、縞模様がないものや、殻が茶色のものも存在する。
 だが、僕が日頃見ている茶色で縞のないツクシマイマイと、山口で採集した茶色のツクシマイマイとは、かなり印象が違う。カタツムリは殻の色に遺伝による変異があることに加えて、山地にすむものと、平地に住むものとで、また形態が異なるのだ。実にややこしい生き物だ。
 上の画像のカタツムリが、同じ種類に見えるだろうか?

  

2004.11.15(月) 1000円でもいいから

 スタジオで撮影していると、いろいろな訪問者がやってくる。セールスだったり、宗教の勧誘だったり・・・
 今日は、
「アフリカの子供たちを学校に通わせてあげたい。」
 と女性が一人やってきた。大きな荷物を背負い、神戸から寄付をつのりつつやってきたのだそうだ。
 その女性いわく、
「1000円のお金があれば、30人の子供たちが一年間学校に通えるのです。」
 それで、どんな形でお金を集めるのか?と言えば、靴下やタオルを僕に買って欲しいと望んでおられた。そして、こうおっしゃった。
「もしも、物を買うのが好みでないのなら、1000円でもいいから寄付してもらえないでしょうか?」
 と。
 僕にはその言葉がひっかかる。「1000円でもいいんです。」のでもという言葉が。
 でもという言葉には、「わずか」というニュアンスが含まれている。決して高額なお金をさす時に使う言葉ではない。見ず知らずの相手に寄付を募る時に、
「100万円でもいいんです。」
 とは言わないだろう。
「1円でもいんです。」「100円でもいいんです。」
 と、安い金額をさす言葉であるが、1000円はそんなに安い金額だろうか?
 親しい友達どうしの間柄であれば、確かにたかが1000円であるが、見ず知らずの相手を目の前にして、「1000円でも」はないんじゃないかなぁと、僕は感じる。
 北九州でもしも働くのなら、スパーのレジで1時間働いても1000円にはならないだろう。レジを1時間打つと言ったら、それなりの労働である。

 さて、またまたカタツムリの撮影のリクエストがあり、今日はスタジオで撮影中だ。
 最近の僕は、スタジオでの撮影に関して言うと、できればすべてデジタルにしてしまいたいと望んでいる。ところが、デジタルカメラは明るい色合いの被写体を苦手をする傾向があり、明るい背景で、比較的明るい色合いの被写体を撮ると、結果がイマイチのことがある。
 今日の画像も、なんだかカタツムリの胴体や殻の色がちょっと浅いというか、コクがないというか、とにかく実物とは何かが違う。それでも十分に仕事に使えるレベルではあるが、もうちょい頑張って欲しいな〜と、デジカメに対して感じる。
 そうした点が改良されたデジカメに期待をしているわけだが、マミヤから発表された2200万画素のデジタルカメラやフジのS3プロが気になる今日この頃である。
 お金がたくさんあればなぁ。1000円でもか・・・
 しかし、寄付をつのって歩いて回っているあの人は、いったい何をして生計をたてているのだろう?

 

2004.11.14(日) 

 カタツムリは時に苔を食べることがある。今日の画像は、木の杭に生えた苔をカタツムリが削り取った痕である。
 本当は、木の杭ではなくて、植木鉢の表面にうっすらと生えた苔をカタツムリが食べた痕跡を撮影する予定になっているのだが、・・・・
 いざ苔が生えた植木鉢を探してみると、なかなか撮影できるほど見事に苔が生えた植木鉢が見つからない。
 それで、いろいろと考えて、魚を飼育している屋外の容器の中に植木鉢を沈めておいたのだが、なかなか都合よく苔が生えてくれない。
 ついつい人様の家の庭においてある植木鉢の表面に目がいってしまうのだが、もしもちょうどいい植木鉢があってもな〜。なんて説明したらいいのだろう。
「すみません。植木鉢を貸してください。」
 と言われても、誰でもけげんに感じるだろうなぁ。
 
 

2004.11.12(金) 営業

 昨日メールで送信したカタツムリの画像に関して、早速、
「出来れば、新しい写真を一枚撮影して欲しい。」
 と依頼があった。この依頼は、僕にとって、とても嬉しい依頼だ。
 実は、今回のカタツムリのページに使用する写真は、改めて誰かに写真を撮ってもらうのではなくて、すでに撮影済みで、誰かが手元に持っている写真を使うことになっていたらしい。
 理由は、出版までに新しく撮影するような時間的なゆとりがないからだが、そんな時でも、僕に声を掛けてくれれば、短時間でかなり撮れるよと言えるように、日頃いろいろなケースを想定して準備を整えているのだ。
 それが相手に伝わり、撮影済みの写真を使ってチョチョイノチョイとページを作るはずのところが、新しくわざわざニーズに合う写真を撮り、より質のいいページを作ることに貢献できるのだから、僕は楽しい。
 これは、僕が仕事を確保するための営業面での工夫である。
 営業というと、最終的な目標は儲けることであり、なんだかドロドロしたイメージを抱く人も少なくないだろう。だが、いろいろに工夫をして、相手のニーズに応え、喜んでもらい、そして自分も儲かることには、写真撮影の面白さとは、また違った面白味がある。
 技術肌の人は、しばしば営業が不得手であることを、それこそが職人の証であるように自慢げに語るが、僕は、営業的な面も、それはそれで楽しめる楽天的な側面や遊び心やしたたかさも、職人にあっていいように思う。

 

2004.11.11(木) 今から撮影します。


 「某社の図鑑で、カタツムリのページに使用する写真を探しているのですが・・・」
 と、写真の貸し出しの依頼があった。
 あんなシーン、こんなシーンと、詳しく話を聞いた結果、九州に生息しないカタツムリを除いて、大体僕の手元に写真があり、それをメールで先方に送った。
 カタツムリやその仲間を紹介するページでは、出版社側は、白のバックで撮影された写真を希望しておられた。しかも、掲載するカタツムリの種類にもこだわりがあり、何でもいいからカタツムリを白のバックで撮影した写真という依頼ではない。
 しかし、色々な種類のカタツムリを白のバックで撮影している写真家など、下手をしたら僕一人かもしれない。だから、僕のところに写真がないのなら、そんな写真は、滅多に存在しないだろう。
 その場合は、葉っぱの上のカタツムリの部分だけを切り抜いて使用したり、他にも手段があるわけだが、なかなか自然に切り抜けるものではないし、出来れば白バックで撮影された写真を・・・ということになる。
「ナメクジとキセルガイの白バック写真も・・・・」
 と、話は続く。
「ナメクジとキセルガイは、大丈夫ですよ。」
 と、僕が答える。
「え!ありますか、そんな写真が」
 と、電話の向こうの声が嬉しそうである。
「今からデジカメで撮影しますから。1時間もあれば大丈夫です。」

 そんな急ぎの仕事ではデジカメが威力を発揮する。生き物の本なんて、時間をかけてじっくり作ればいいのに・・・と、僕はよく感じるが、急ぎの仕事が実に多い。今回は、10数点の写真を貸し出すことになった。すべてが使われるとは限らないが、そんな機会を地道に積み上げていけば、デジカメ一台程度であれば、すぐに買うことができる。
 
 今日は、カタツムリというマニアックな生き物を日頃僕が撮影してきたことがヒットした。創作活動をする人の間では、よく、
「人と違うことをしないさい。」
 と言われるが、その通りになった。
 だが、人と違うマニアックなものを撮った結果、全く声がかからずに沈没してしまう人もたくさんいるだろう。闇雲に、人と違うことをすればいいのでない。
 僕の場合は、たまたま依頼されたカタツムリの撮影をやってみたことが、きっかけだった。だが、僕と違う誰かが、じゃあ僕も・・・と、同じようにカタツムリを撮っても、今度はうまくいかないかもしれない。
 ある程度、流れに身を任せて、自然と行き着くところに腰を下ろしてみることも大切ではないかと、僕は感じる。だから、僕は気乗りしない仕事も、一度はやってみることにしている。
 
 

2004.11.10(水) 物語の続き

 晴れの日には、
「撮影日和ですね。」
 と、渓谷を散歩する人から声をかけられる。
 だが実際には、晴れの日の特に昼間は、大部分の渓谷では全く撮影にならない。太陽の光が作り出す日向と日陰が入り混じり、明と暗とがゴミゴミして、何だか汚らしい写真になってしまうのだ。
 だから、渓谷の撮影を予定しても、その数日の間に晴れが続くと、早朝の一時間くらいを除いて、全く何もできずに終わってしまうことがある。
 だが、晴れると夜は星が出るのだから、夜間に星を撮ればいいじゃないか!と、今回は夜景を撮影するつもりででかけたが、いざ撮影となると、どうもそんな気にもなれない。
 理由は幾つかあるが、例えば、夜の渓谷はやはり怖い。昼間は何でもない一言が実にこたえる。
「昭和何年何月に、この場所で女性が足を滑らせて溺死しました。足元には十分に気をつけましょう。」
 という菊地渓谷に設置された看板が、僕の恐怖を倍増させる。まさか!とは思うが、呼ばれたら困る。
 それから、夜景の撮影では、一枚の写真を撮るのに大変に長い時間がかかることもある。何か生き物の現象を待つ際の時間は我慢できるが、単にシャッターを開けてから閉じるのに、写真のメカニズムの側の問題で時間がかかるのは、これが実に退屈なのだ。
 また、僕は渓流を、自分なりの物語として撮影している。だから、ただ星空がきれいだからという理由で唐突に夜景を撮影することは、僕の流儀に反する面もある。そこで、今回は星空の風景ではなくて、薄明薄暮の時間帯に夕景を撮影してみることにした。いつも撮影を切り上げる時間に渓谷に入り、いつもの続きを撮るわけだ。すると、物語がうまく流れ始めて、撮影意欲が湧いてきた。
 夕方にカメラのシャッターを押してみて、ちょっと驚いたのだが、沢の水量が昼間よりも多く感じられる。昼間なら写らないような、岸辺の浅いところや、岩場を濡らしている水までもが、光りを反射して写真に写るのだ。

 北九州の皿倉山で開催中の写真展に足を運んでみた。
 僕が、初めて川上さんの写真を見たのは、博多のクリエイトという現像所だった。ちょうど小さな写真展が開催されていたのだ。年配の人なのかな・・・と思ったら、僕よりも若い人だったので驚いた。写真展のテーマは、くじゅうである。
 第一印象は、谷川洋一さんの尾瀬の写真に似ているかな・・・と僕は感じた。すると、谷川さんは山小屋で働きながら写真を撮り、川上さんもやはり同じように山小屋で働きながら写真を撮ったことが分かった。
 谷川洋一さんの湿原の宇宙という写真集の中には、夜空だろうか?空に白い虹がかかった写真があるが、全く同じ現象が川上さんの写真にも捉えられいた。谷川さんが生命を写そうとしているのに対して、川上さんは山の姿を、旅人的に撮ろうとしているのかなと、僕は感じた。

 

2004.11.8(月) 向き不向き

 菊池渓谷での撮影を午前中の間に終え、どこかで昼寝でもしようかな・・・と車を走らせながらカーテレビのスイッチを入れたら、ある小学校での読書を推奨する取り組みが取り上げられてた。
 本当は、明日の撮影のために天気予報を知りたかったのだが、ちょっと耳を傾けることにした。何といっても、僕は自然の写真を撮り、その写真で本を作るわけだから無縁ではないのだ。
 番組の内容を掻い摘んで書くと、ある小学校で図書館の環境を徹底的に整え、授業でも、子供が本を使って何かを調べる機会をたくさん与える。低学年の生徒には、朝のホームルームの時間に先生が本を読んできかせる。その結果、積極的に子供が本を読むようになったというものだった。
 それでも図書館に本を借りに来ない子供には、図書館の先生が、
「是非、図書館に来るように」
 と手紙を書いて、担任の先生に託す。
 僕は、図書館に行きたくないという子供がいてもいいのでは?と感じるので、そこまでして欲しくないな〜と感じたわけだが、手紙をもらった一人の生徒は、いつの間にか図書館でたくさんの本を借りるようになったのだそうだ。
「ホ〜。すごいな。」
 と認めざるを得ない。
 でも、もしもその本が、ポルノ雑誌だったならと、僕は考えた。
「先生、僕も本が大好きになりました!」
 とある子供がかばんの中からエロ本を取り出したなら・・・
 本は本でも、きっと先生方は顔をしかめることだろう。
「本を読みましょう。」
 といっても、どんな本でもいい訳ではないようだ。
 だが僕は、僕の本を、ちょうどエロ本を読むかのように、子供が読んでくれたら嬉しいな〜と思う。大人や先生方や法律が、「読んではいけません。」とどんなに言っても、そんな障害を乗り越えて、是非とも読んでみたいと思ってもらえれば、それが理想だと思う。
 僕が子供の頃、家にはたくさんの本があったが、僕は父が読ませたがった本(筋のいい物語)は、全く読まなかったと思う。だが、何気に棚にあった生き物の図鑑は、ボロボロになるまで読んだ。誰かが勧めるからではなくて、自分が勝手に見たいものだけを、ただ好きで好きで読んだ。
 言うならば、先生が勧める図書館にはいかずに、エロ本を勝手に読むような部分が、無きにしも非ずだった。だから、本を読みなさいという教育を素晴らしいなと感じる反面、どこかに反発も感じる。
 そんな僕は、教育者には向かないだろうな〜

 さて、菊池渓谷の広河原は超有名スポットである。今日も数人のカメラマンが、定番の場所から撮影するために、早朝からカメラを構えていた。人様がどう撮影しようが、その人の勝手ではあるが、僕は、
「つまらんな〜」
 と感じる。有名な風光明媚な場所で撮ることは楽しいし、否定しないが、彼らの多くは、ほとんどそこだけを撮影して帰ってしまう。自分の目で、その日しか撮れない何かを探そうとはしない。
 だが、それが大半のアマチュアの姿でもある。そして、そんなアマチュアを対象にして、写真教室でお金を稼ぐレッスンプロも写真界には多いと聞くが、僕には勤まらないだろうなぁ。
 思わず、
「つまらんな〜」
 と口にしてしまうことだろう。人には向き不向きがある。
 彼らが誰一人見向きもしなかった淵の一角に、見事に落ち葉が降り注いでいた。

 

2004.11.7(日) チグハグ

 昨日、父のカメラ・キヤノンのEOS20Dを借りて小さなカタツムリを撮影したが、不手際で、実にチグハグな撮影をしてしまった。
 デジタルカメラの画像は、パソコンで見る際に、撮影時のカメラの設定によっては専用のソフトがなければ表示できない。なのに僕は、EOS20D用のソフトを持たずに撮影してしまったのだ。いざ、パソコンに画像を移して見ようとしたら、どうしても画像が表示されない。
 過去に、同じキヤノンのD30を使用していたので、キヤノンのホームページにアクセスしてD30用のソフトをバージョンアップすればいいと思い込んでいたところ、どうも20Dのソフトは全く別物のようだ。しかたがないので、ホームページの日記用に、カメラの設定を変えて一般的なパソコンで表示できる方式で、撮影をやり直した。
 ところが、今度は画質が悪い。
「あれ?照明が悪かったかな?」
 と、照明器具をチェックして、再度撮影したが同じ。
「つまらんカメラやな〜」
 と、その画質が悪い画像を日記に掲載しようとして、やっと気がついた。またまたカメラの設定の間違えだった。特に暗い場所で撮影する際の設定になっていたのだ。その場合は、通常は撮影できないような暗い場所でも写るが、その分画質が悪くなる。
 またまた、撮影をやり直すはめになった。

 今日は、直方市の自宅から、熊本県の菊池渓谷へと出発しようとしたら、フィルムを入れた車内用の冷蔵庫を北九州市の事務所に忘れたことに気付いた。慌てて取りにいって、往復1時間の無駄だ。
 そして菊池渓谷では、夜景を撮影しようとしてカメラのファインダーをのぞいたら、ただただ暗いだけで全く何も見えない。夜の博多の町でセミの羽化を撮影した時は、街灯の明かりでそれなりに周囲が見えたが、周囲に明かりがない森の中では、明るい時間帯にあらかじめカメラを三脚にセットしておかなければ、暗くなってからでは手遅れのようだ。真っ暗な山道を、不気味だな〜と感じつつ、目的地まで一人歩いたのに・・・
 こんな撮影の時は一人は辛い。だが、誰か知人に、ただ不気味だからという理由で、夜の菊池まで来てもらうわけにもいかず・・・しかしまあ、昨日からよくチグハグが続く。
  
 

 2004.11.6(土) カムイ伝

「あれ?、何かカタツムリの赤ちゃんがいるぞ!」
 と、先月雨の日に採集した小さなカタツムリ(3〜4ミリ)は、立派な大人であることが判明した。
 正確な名前はまだわからないが、キビと呼ばれているカタツムリの一種であろう。
 キビは、穀物のキビから由来した名前かもしれないなぁと思う。肉眼でみると、ちょうどキビの実くらいの大きさや形に見えるからだ。
 カタツムリは、生まれた直後は、殻の巻き数が少ないので、殻を見れば、大人なのか子供なのかがわかる。上の画像のカタツムリは、殻が何度も巻いているので、少なくとも子供ではない。
 

 一方こちらは、ヒダリマキ(左巻き)マイマイの、生まれたばかりの子供だ。
 カタツムリには右巻きと左巻きがあり、巻きが見えるように置いたときに、右巻きは頭が右を向き、左巻きは頭が左側を向く。左巻きは圧倒的に少数派だ。
 それはさておき、殻の巻き数を見てもらいたい。巻きが少ないことがわかるだろう。これが子供なのだ。
 だが、このヒダリマキマイマイの生まれたばかりの子供は、すでにキビの大人よりも大きい。いったいキビの卵や生まれたばかりの子供は、どんなに小さいのだろう?見てみたいものだ。

 さて、白土三平さんの漫画には、しばしば生き物が登場する。サスケやカムイ伝が僕は好きだ。
 そのカムイ伝の中で、主人公のカムイが忍者になるためのテストを受けるシーンがあり、赤目という忍者と戦う。テストと言っても、戦いは数日に及び、少しずつカムイは追い詰められていく。そして最後は赤目に倒されて、赤目の弟子として、忍者の世界に足を踏み入れることになる。
 数日に及ぶ戦いではあるが、やはり勝負なので、食事をとる時間はない。カムイは、戦いながら生き物を捕まえて、それを口に入れる。その中に、カタツムリを捕まえて食べるシーンがあるのだが、なんとそれが、わざわざ左巻きのカタツムリが描かれていることに、僕は驚かされた。
 白土さんが何をみて、カタツムリの絵を書いたのかはわからないが、圧倒的に数が少ない左巻きを選ぶとは・・・ もしかして、カタツムリマニアか?と、僕は興奮した。
 が、次の瞬間、そのカタツムリは見事に右巻きになっていた。カタツムリは、恐らくページのレイアウトの関係で左巻きになっただけであろう。また、カタツムリに右巻き、左巻きがあることを、白土さんはご存知なったのだ。
 な〜んだ。

 今日は、午前中に、カタツムリが食べ物を食べるシーンを撮影した。これは仕事だ。
 午後からは、父に借りたキヤノンのEOS20Dを使って、キビやヒダリマキマイマイを撮ってみた。EOS20Dはいいカメラだと感じたが、動き回る小動物を撮るのには、ニコンのD70の方が上かな?と感じた。
 EOS20Dの書き込み速度等は遅くはないが、D70の方が早くて、ストレスを感じない。動き回るものを撮る時はたくさんシャッターを押したいし、書き込みが速いカメラがいい。
 D70は600万画素で、EOS20Dは800万画素だが、画素数が多いほどデータが大きくなり、書き込みに時間がかかる。800万画素も必要があるのかな・・・
 600万画素で、もっと高画質にできないのだろうか?
  
 

 2004.11.5(金) 予定変更
 
 今晩から今週いっぱり、今度は九州の紅葉を撮影する予定を組んでいたのだが、
「ちょっと待てよ。」
 と、思いとどまった。山陰・山陽の紅葉を撮影しながら、
「楽しいのだけど、何か違うな〜」
 と感じていたのだ。 いい場所を次々と回って撮影するのであれば、僕じゃなくてもできるじゃないかと。
 第一風景の写真家は、風景用の大判カメラと呼ばれる高画質な道具を持っているのだし、同じように撮れば敵うはずがない。また、風景専門の写真家は、風景だけをじっくりと時間をかけて撮影するのだから、到底太刀打ちできるはずもない。
 もちろん、写真家はみんな違った撮り方をするので、それはそれで僕なりの写真になるのかもしれないが、その程度の個性は些細なものだとも言える。
 そもそも、僕は、風光明媚な規模の大きな場所で撮影するよりも、小さいけれども素朴で素敵な場所が好きなのだ。例えば、大きくて有名な滝の撮影にでかけても、むしろ滝から流れ出す小さな沢の流れの住人に興味があったり、有名な渓谷にいっても、人気のあるポジションからの撮影よりも、小さな生き物や植物の方に興味がある。つまり、ただ物の形が絵になる場所よりも、自然や生き物が豊かな場所で、その豊かさを撮影したいのだ。
 そういう自分を、ちょっと見失いかけていたことに気付いた。
 有名な場所がダメだというのではない。有名な場所に行っても、自分なりの歩き方をすればいい。だが、僕が今週立てていた計画は、有名な場所の有名なスポットだけを撮影するような内容になっていた。
 
 そこで、久しぶりに菊地渓谷に行ってみようと思う。菊地渓谷は、超有名スポットだが、大変に奥行きが深くて(物理的にではない)、いろいろな撮り方ができる。植物や苔にテーマを絞ることも出来るし、カニや水生昆虫に的を絞ることもできる。
 ただ、休日はあまりに人が多いので、月〜水に、他を一切みることなしに、すべての時間を費やして撮ってみようと思う。
 実は、それとあと1つ。来春出版されるカタツムリの本の撮影で、1シーン新たに撮影しなければならなくなった。それを、明日撮っておきたい。
 
 

 2004.11.4(木) 悲しいメール
 
「事後承諾になってしまい、真に申し訳ないのですが、先生の写真を一部掲載させていただいてしまいました。許可のない掲載はお断りの一文を読み落としてしまった結果です。あらためてお詫びいたします。 (中略) 今後、こういったことには使用しないでほしいということでありましたら、改めたいと思っております。」
 と先日、僕のところにメールが届いた。
 ある小学校でアルバイトをしておられる方が、カタツムリに関する新聞のようなものを作り、学校で掲示しておられるらしくて、その中に、僕のHPから画像を使用させてもらったとのメールだった。
 ある1つの小学校という限られたスペースで掲示されるものなので、これまでに作成した分に関しては、僕は、了承することにした。だから、一応の納得をしているわけで苦情ではないが、ちょっと考えさせられるメールでもあったので、正直に感じたことを書いてみたい。

 まず、問題だと感じたことの1つ目は、先方の
「許可のない掲載はお断りの一文を読み落としてしまった結果」
 という一文だ。逆ではないか?と僕は感じるのだ。
「どうぞ、自由に画像を転用してください」
 とわざわざ書かれているのなら、初めてそうできるのではないだろうか?
 例えば、路上に傘立てがあり、雨の日にその中にたくさんの傘が準備されていたとする。張り紙も何も無い。それを、「何も書かれていなかったから」と、勝手に使っていいのだろうか?「どうぞ、ご自由にお使いください。」と書かれているのなら、初めて、それを使うことができるのではないだろうか?
 よくテレビに出てくるような、大阪の厚かましいオバチャンが自分のためにそうするのなら笑える。だが、勝手に持ち出したその傘を、雨に濡れている子供に、
「これ使っていいよ!」
 と渡したとしたら・・・
 言葉は大変に辛辣だが、それは一種の泥棒である。泥棒で得たもので、子供に喜んでもらおうというのは、何かおかしいように感じる。子供に見せるからこそ、許されないように思う。

 それから2つ目は、
「小学校に掲示したい。そして身近な自然に関心を持ってもらいたい!」
 というその目的からすると、他人が撮影した写真を使うのではなくて、下手糞でも、自分で写真を撮るべきではないか?と僕は感じる。自分が見たものを伝えることが大切ではないだろうか?これがとても大切だと僕は思うのだが・・・
 もちろん、時間もかかるし、カメラを買うお金もかかる。だが、自然に興味を持ってもらいたい!と心底思うのであれば、自分が犠牲になればいいだろう。また、自分で撮ってみれば、誰かが一生懸命撮影した写真の重みが分かるだろう。
 
 そして3つ目に、僕の許可が得られなければ今後は改めるという一文だ。
 ちょっと待てよ。何か忘れていないだろうか?プロの写真家にとって、写真は商品である。それを使ったのなら、「改めます。」の前に、「お支払いします。」があるべきだ。
 そして、僕が、「注意が足りなかっただけですから、結構ですよ。」と答えれば、「今後は改めます。」の順序ではないだろうか?中には、写真が気に入ったからと、小さな会社の社内報のようなものに写真を使い、ちゃんと支払ってくださる方もおられるのだ。
 傘を一本、勝手に持ち出したなら、誰でもそれが罪であることは分かるだろう。だが、プロの写真家が撮影した写真の使用料は、一枚の使用料が1万円を割ることは滅多にないし、傘一本の値段どころではないのだ。

 全員がそうではないが、学校やボランティアに携わる人には、そうした点でルーズが人が多すぎる。子供のためだから・・・という大義名分が、そこにあるように思う。
 だが本当は、子供のためだけではなくて、それが自分自身の生き甲斐であり、やりがいなのだから、大義名分に甘えてはならないように思う。
 そして、僕が一番悲しく感じたのは、その方が、恐らくちゃんとした人であろうということだ。だって、黙っていても分からないことを、わざわざ報告してくださったのだから。
 でも、ちゃんとした人でさえ、その程度の意識であることが、僕は悲しい。
  
 

 2004.11.3(水) 一年が経ち
 
 昨年のちょうど今頃から、
「たっぷり時間をかけて、何か野生の生き物を撮影してみたいな〜」
 と、いろいろと考えている。とにかく、難しいシーンをと。
 きっかけは、紅葉の撮影中に、イワナの仲間のゴギの産卵シーンを見かけたからだが、一年が経過して、ようやく僕の頭の中に幾つかのイメージが湧いてきた。

 まず1つ目は、ツクノワグマだ。
 ツキノワグマの場合は、中国山地で撮影をする際に何度かみたことがあるし、学生時代も渓流釣りに出かけた際に、度々その姿を見かけていた。大体、どこに出没するのかは分かっている。
 ただ、それを単に写すのではなくて、僕が現在撮影中の渓流をテーマにした一連の写真の中に組み込めるように撮りたい。そうなると、格段に撮影が難しくなる。
 僕のイメージはこうだ。
 ツキノワグマが、紅葉の時期に落ち葉の森の中を歩いている。クマは、僕やカメラには全く気付いていてない。まるで自動撮影カメラで撮影し時のように澄ました横顔で写っているのだが、それを自動撮影ではなくて、ちゃんと自分の目で見て、イメージ通りの瞬間を撮りたい。出来れば、クマが歩いている足元には、チョロチョロと小さな水の流れがあれば、なおいい。
 それから、そう考えるきっかけになったゴギの産卵のシーンは、是非撮影したい。
 ゴギは、中国山地に生息する岩魚である。韓国では焼肉のことを火をあらわすプルと、肉をあわらすコギをあわせて、プルコギといい、ゴギはそのコギから来た言葉であると言われている。
 朝鮮半島から山陰に渡ってきた人々が、蛋白源としてゴギを食べたのだろうか
 それとあと1つ、水中でのオオサンショウウオの様子を撮りたいが、こちらは撮影に耐えるような透明度の場所をまだ見つけていない。サンショウウオの仲間は、多くの写真家は図鑑的に撮影しているが、そうではない、何か息づかいが聞こえてきそうな写真を撮りたい。

 サンショウウオは、いい場所さえ見つければ可能だろう(それが時に一番難しい)。ゴギは、仮に本気で取り組んでも、2〜3年程度の時間がかかるだろう。
 クマは、ずっと以前に撮影を考えたことがある。ただし、それは絶滅した言われている九州山地のクマだ。
 僕は、それを同級生が集まる酒の席で、写真家になりたいという友人に話をした。これから何を撮ろうか?という段階の友人に、
「九州のクマを撮れば・・・」
 と勧めた。友人は、冴えない返事であまり興味を示さなかったので、じゃあ、僕がやってみようかなと準備に入ろうとした。すると、冴えない返事だった友人が、突然にクマ探しを始めた。聞けば、中国山地のクマを特集した番組を見て刺激を受けたようだった。
 僕は、九州山地のクマを撮る前に、数が多い中国山地のクマをある程度見ておこうと考えていた。その方が近道だと、直感的に感じたからだ。そんなことがあったので、もしもクマを撮影するのならここで、というイメージはある程度頭の中にある。それでも、難しい撮影であることは間違いない。
 
 

 2004.11.2(火) におい
 
 出版社に送ったCDが読めないとの事で、急きょ帰宅をして、CDの焼き直しをすることになったが、今日は、早朝に広島県で滝を撮影してから帰宅をすることにした。
 僕は、文明の利器は可能な限り利用することにしている。だから、本来であれば、取材に持ち歩くノートパソコンに一通りの画像を納めておけば、取材先でCDを焼いて送ることも出来るし、それで対応できる仕事も少なくないはずだ。
 だが、僕のノートパソコンは古い上に故障寸前である。また、すでにバッテリーは寿命が尽き、電源がなければ動かないし、ハードディスクもわずか5G程度しか空きがない。ついでに、CD−ROMは読めるが、CD−Rではないので、どっち道、CDに書き込むことも出来ない。
 さらに、OSはウインドウズ98なので、ニコンキャプチャーなど、デジカメ用のソフトにはインストールできないものもある。
 そろそろ何とかしなければならないだろうな〜。
 ただ、取材中に車に放置しておくにはいい。故障や盗難にあっても、ダメージが少ない。が、これは負け惜しみでもある。

 山を歩くと、いろいろなにおいがする。
 いいにおいの時もあれば、何だか生くさい、いやなにおいのこともあるが、今日は、おば様のにおいがした。この滝は有名な滝なので、たくさんの人が見に来るが、途中ですれ違ったおば様グループの中の誰かのお化粧のにおいに違いない。
 驚いたのは、そのにおいがかなり長時間、におい続けたことだ。訓練をされた犬でなくても、僕でも、おばさまが歩いてきた道順をたどることができそうだった。
 おばさま軍団恐るべし。

  においと言えば、まだ学生の頃、車内でこっそりゲップをしたら、隣に座っていた当時付き合っていた女性が、
「何だかいいにおいがする!フルーツの香がする。」
 と言い出したことがった。
 そう言えば、ちょっと前に、りんごのジュースを飲んだばかりだった。
 いいにおいね・・・今考えると、ロマンチックな人だったな〜

 

 2004.11.1(月) CDが読めない
 
 今日は、ショッキングな出来事が・・・
 先日出版社に送った画像が、出版社のパソコンでは読めなかったらしいのだ。これから急いで帰宅をして、CDを焼き直して、また送らなければならない。
 原因は思い当たらないのだが、前回も同じようなことがあった。その時は、たまたまだと、考えたが、何が理由がありそうだ。
 前回読めなかったのは、TIFFという形式の画像だった。出版社の方は、最も普及しているJPGではなくて、TIFFだから読めなかったと考えていたようなふしがあるが、TIFFも大変に一般的なファイル形式なのでトラブルなしに焼けたCDが読めないのは、やはりおかしい。
 またその後、同じようにCDに焼いたTIFFのファイルを幾つかの出版社に送る機会があったが、それが読めなかったことは一度もない。
 だから、何か原因があるはずだ。前回送ったCDが読めなかったときに、しっかりと原因究明をしておけば良かった。

 しかし、せっかくの水辺での撮影なのに、切り上げて帰宅をするのは悲しすぎるではないか!だが、仕方がない。でも悲しい。それでも・・・と、しばらく心の中で押問答をしたが、ふといいアイディアが思い浮かんだ。
 今日はちょっと遠くまで来ているので、これから帰宅をしても、どっち道、今日中に帰りつくことは難しい。それなら今日は思いっきり撮影をして、夜間に運転をして距離を稼いでおき、明日中に事務所に帰こうと。
 元々の予定では、今日2箇所、明日2箇所、明後日2箇所で撮影をする予定を組んでいたが、そのうちの今日と明日とに予定していた4箇所を今日中に撮影してしまうことにした。その結果、一日に2度も車に燃料を入れた。そして、さすがに行程に無理があり疲れたが、とにかく撮影することはできた。
 さらに明日は、帰宅の途中で、本来明後日に予定していた2箇所を急いで撮影しよう。ゆっくり撮影するゆとりはないので、ここぞ!というめぼしい場所のみをさっと撮る。すると、予定していた場所は、慌しい撮影ではあるが、一応すべて回ることができる。
 
  
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2004年11月分


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